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【北國アクタス10月号 ビューティフルライフvol.51 声優能登麻美子】

金沢市出身の声優・能登麻美子はいま、
テレビ金沢で放送中の「犬夜叉」をはじめ6本のテレビアニメにレギュラー出演し、
7本のテレビCMでナレーターを務めている。
今年春から流れ出した携帯電話のCMで、顔こそ見られないものの、
能登のふっと和めるような落ち着いたナレーションを耳にした人も多いに違いない。

8月下旬、能登は東京都港区にあるスタジオで、
テレビアニメ「DEAR BOYS」(テレビ東京・スカイパーフェクTVで放映)の収録に臨んでいた。
番組は高校のバスケットボール部を舞台にした青春ドラマで、
通常のアニメ作品に比べ出演者が多い。
しかも、この日収録したのはバスケットボールの試合場面で、
録音質には20人以上の声優たちがひしめき合っていた。
やがて、録音室内に録音開始を告げるランプが灯ると、
台本片手の声優たちが、めまぐるしく変わるモニター画面に合わせて、
入れ替わり3本のマイクの前に立ってセリフをしゃべっていく。
モニター画面の登場人物の動きに合わせて、身振り手振りを交える声優も少なくない。
声優というと、とかく「声だけの演技」と思われがちだが、
こうして収録風景を目の当たりにすると、体全体を使って演技していることがよく分かる。
ただし、飛び跳ねるような動きはない。
「あまり激しく動き過ぎるとマイクにノイズが入り、ボツになってしまうからです。
 仮にモニターの人物が走りながらしゃべっていても、声優はマイクを抱えて走り出すわけには

 いきません。マイクの前に立ちながら、いかに<走りながらしゃべる声>を演技するか、
 それが声優の仕事であり、難しさなんです」

転機は無名塾の公演
能登が生まれた1980(昭和55)年は、ちょうど<第一次アニメ・声優ブームが
沸き起こっていたころである。
ブーム以前、声優は俳優が兼務することが一般的で、
どちらかというと「俳優の余技」とみられることが多かった。
しかし、ブームの導火線となった「宇宙戦艦ヤマト」が放映されたころから状況が変わる。
森雪を演じた麻上洋子が一躍人気者となり、「生粋の声優」としても話題を呼んだ。
以後、アニメブームとともに声優は、完全に独立したジャンルとして認知されていくのである。

いわば能登は「本格的な声優の時代」の幕開けに生まれたといえる。

「実家が書店だったせいか、小さいころは本を読んだり絵を描くのが好きな子供でした。
 なかでも好きだったのが、おままごと。自分以外のだれかを演じることがすごく
 楽しかったんです。おとなしい子供だったぶん、変身願望が強かったと思います」
金沢市立馬場小学校のころ近所の児童劇団に入団し、
小将町中学では演劇部に入るほど、芝居が好きだった。
だが、将来の進路となると話は別で、演劇は「趣味」と割り切って、
保育士か看護師になろうと考えていたという。
転機は北陸学院高3年だった1997(平成9)年秋に訪れた。
中島町の能登演劇堂で、無名塾のロングラン公演「いのちぼうにふろう物語」を観て、
心を揺さぶられたのである。
「演劇の魅力に改めて感激して、私もあの舞台に立ちたい、と思ったんです。
ちょうど無名塾が新劇団員を募集していたので、
高校を卒業したらオーディションを受けるつもりでした」
しかし、この希望は両親の猛反対にある。
高校生になるまで我を通すことなどなかった能登だが、この一事だけは決して譲らなかった。
結局、両親が折れ、「1年間だけ東京の演劇専門学校に通う」という妥協案がまとまった。
両親は「1年間、頭を冷やせば金沢に帰ってくるだろう」と考え、一方、能登は
「専門学校で芝居の基礎を学び、卒業後、無名塾の試験に挑戦する」と決意を秘めていた。
学校は「無名塾に入るための通過点」と考え、条件が整っていればどこでもよかったという。
こうして能登が選んだのが声優養成の専門学校である。声優との出会いは、半ば偶然だった。

「俳優志望」からの出発
「宮崎駿さんの作品など、当時、好きなアニメはたくさんありました。
 けれど、声優に関する知識はほとんどありません。
 声優の学校に通いながらも、あくまで俳優志望で、将来は芝居をしたいな、
 と漠然と考えていたんです」
そんな能登の前に、意外な扉が開く。
在校中、専門学校の卒業生である声優がパーソナリティを務めるラジオ番組に、
アシスタントとして出演する機会を得た。
その際、芸能プロダクションの大沢事務所から、
「卒業後、うちの研究生として来ないか」と誘われたのだ。
大沢事務所は100人以上の声優を擁する大手プロである。
1990年代には、「美少女戦士セーラームーン」が火をつけ爆発的なブームで、
<アイドル声優>が続々と出現していた。
声優人気は高まる一方で、志願する若者も後を絶たない。
大沢事務所でもひとたびオーディションを開催すれば、2000人を超える応募者が殺到したという

大手プロに直接スカウトされることは僥倖といっていい。
決め手になったのは「個性のある声。声優として面白い」と評された能登の声だった。
迷いながらも能登は、誘いにのった。
「とりあえずレッスンや要請があった仕事を続けながら、声優の心構えという
 ジグソーパズルのピースを、1個1個はめてきました。走りながら考えるようなもので、
 パズルが完成したらどんな絵になるのかを知らないまま、この世界に入ったのです」
プロダクションの養成所では1年間、声優のイロハをみっちり仕込まれた。
研究生時代の2000(平成12)年1月から放映が始まったテレビアニメ
「ブギーポップは笑わない」をデビュー作として、能登は声優への道を歩みだした。

アルバイトの日々
声優の世界には、さまざまな制約がある。
とりわけ俳優との違いが際立つのは、「セリフの間」だ。
通常、俳優は自分のテンポでセリフをしゃべることができる。
しかしアニメでは、声優は絵の人物の口の動き、
いわゆる「口パク」に合わせてせりふをしゃべらなければならない。
どれほど情感を込め、完ぺきにセリフを言えたとしても、絵と合っていなければ意味がない。
しかもアニメの場合、声優が初めて映像を見るのは、収録当日であることが多い。
数回のリハーサルが終われば、すぐさま本番だ。
「仕事を始めたころ、とにかく苦労したのが、絵の口パクに合わせることでした。
 自分のしゃべりやすいテンポが、許されません。事前に練習をし過ぎて自分で<間>を
 決めてしまうと、かえって絵に対応できなくなることもあるのです」
デビュー後、さまざまな課題を克服しながら、能登は順調にキャリアを積んでいく。
2000年4月には、テレビアニメ「ゲートキーパーズ」で早くもレギュラー獲得。
さらに「おジャ魔女どれみ#」「妖しのセレス」などの作品にも相次いで出演した。
とはいうものの、このころの能登はまだ、
声優の仕事のかたわら、飲食店などでアルバイトを続けていた。
「30分番組なら1回の収録は、おおむね3〜5時間で終わります。毎週放映の
 テレビアニメのレギュラーになっても、収録の仕事は月に4日です。合間にCMの
 ナレーションの仕事もしていましたが、それだけでは生活できません。スケジュール
 帳が埋まり始めたのは、比較的最近のことです」

ラジオドラマで開眼
「声優・能登麻美子」の名が、広く認知されていくのは2001(平成13)年の夏、
人気テレビアニメ「犬夜叉」のレギュラーとして登場して以降のことだ。
能登の役どころは主人公である犬夜叉の兄・殺生丸と行動をともにする少女りんである。
続いてこの年の秋には、
熱狂的なファンをもつ漫画家CLAMPのベストセラーをアニメ化した「X」で、
初のヒロイン役も射止めた。
このころから「アニメ声優に多いキャピキャピした声ではないが、癒しを感じさせる」
と能登の声が評価され、次第に声優としての地位を固めていく。
順調にスケジュールが埋まっていく一方で、
能登自身は、濃い霧の中を歩くような、もやもやとした思いを抱え込むことがあった。
一体、自分への評価は、アニメの人気によるものなのか、それとも成長した証なのか、今いる場
所さえ
見失わせるような霧は、簡単に晴れそうもなかった。
「アニメで声優は、絵と一体になって、初めて一つの世界を作れます。逆に
 いえば声優単独では、どうにも中途半端で、実体がないように思えたのです。
 実体がないものを、どうやって表現していくのか。その答えをずっと探していました」
セリフや原稿を、ただ上手に語るのであれば、アナウンサーで務まる。
必ずしも声優が演じる必要はない。能登の懊悩は、声優らしい表現を求めることでもあった。
それは声優なら、だれもが一度は直面する悩みともいえた。
能登は、解決への一つの手がかりを、ラジオドラマでつかんだという。
昨年1月から放送された「成恵の世界」である。
能登は、このドラマで主人公の女子高生・成恵を演じた。
ラジオドラマは、声優の演技だけで、すべてが完結する
仕事だった。半面、まったく見える物がないだけに、アニメ以上に難しさも感じた。
この難題に挑んだことが、能登に自身をもたらす。

「ラジオドラマに出たおかげで、声優は、絵がなくても声だけで一つの世界を
 作ることができると知りました。そこに流れる空気さえも、見えるように伝えることが
 声優の仕事だと思ったのです。とても難しいことですが、そう考えた時、霧が
 少し晴れた気がしました」
ラジオドラマ「成恵の世界」は好評を博し、その後、テレビアニメ化も決まった。
まずアニメありきではなく、声優の作り上げた世界が、テレビアニメを生み出したのだ。
能登の好演による功績は大きいだろう。
むろん、能登は引き続き、アニメでも主人公を演じた。
能登にとって、ひときわ思い入れの深い作品である。
結局、能登は「俳優」への転身を図ることなく、現在に至っている。
その希望はいまも生き続けているのだろうか。
「職業を尋ねられたら迷うことなく、私は声優です、と答えます。今では、演じる
 上で声優と俳優に違いがあるとは思っていません。すぐれた声優は何よりも、すぐれた
 俳優でなければならないとと思うからです」
声優の世界は「10年で一人前。30年でプロ」ともいわれる。4年目に入った能登は、
いまもジグソーパズルのピースを、一つずつ、丹念に組み上げている。
能登のパズルが完成した時、どんな絵が現れるのだろうか。(本文中敬称略)■


PROFILE
のと・まみこ/1980(昭和55)年2月、金沢市生まれ。北陸学院高卒業後、
声優養成の専門学校に入学。在学中に声優プロダクションの大手・大沢
事務所にスカウトされ、研究生となる。2000(平成12)年、テレビアニメ「ブ
ギーポップは笑わない」でデビュー。現在「犬夜叉(いぬやしゃ)」「DEAR
BOYS」「藍(あい)より青し」など6本のテレビアニメにレギュラー出演する
ほか、多数のCMでナレーターを務めている。

今年4月に始まったテレビアニメ「DEAR BOYS」では、メーンキャストの
一人であるバスケットボール部のマネジャー杏崎沙斗未(あんざきさとみ)
役を演じた。

テレビアニメ「犬夜叉」で、能登が演じる少女りん(左)。りんは2001(平成13)年
7月に放映された第35話「名刀が選ぶ真の使い手」から登場した。犬夜叉の兄
殺生丸(せっしょうまる)の運命を握る重要なキャラクターだ。

「おままごと」を好んだ5歳ごろの能登。能登自身を主役に見立て、
母・恵子が創作した童話「王女マミレーヌ」に熱心に耳を傾けていたという。
空想好きな女の子だった。

北陸学院高2年の能登。地元劇団などに在籍していたが、演劇は「趣味」
と割り切り、保育士や看護師を目指していた。この数ヵ月後、能登演劇堂観た
無名塾の公演に感激し「俳優」の道に進むことを決意する。

録音室でリハーサル中の能登。数回のリハーサルが終われば、早くも本番だ。
セリフと口パクのタイミングなどを、短時間のうちに調整していく。

収録の合間、監督の工藤進(左)と打ち合わせ。監督からの指示を受け、
能登の台本にはびっしり書き込みが加えられていく。工藤は富山県出身で、
「キャプテン翼」「頭文字D」など、数多くのアニメ作品を手掛けている。

収録を終え、録音スタジオを後にする能登。北陸銀行のCM出演やイベントなど、
最近は「顔出し」の仕事も増えてきた。能登が活躍する領域はますます広がるはずだ。

本番を控え、スタジオ横の廊下で台本に繰り返し目を通す。「心の核の部分には
いまも、おままごとで変身願望を満たしていたころの私がいる。今後もさまざま
な役に挑戦していきたい」と語った能登。視線は、確かな演技力に裏付けられた
声優を見据えている。



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